多古町郷土に輝く人々

多古町は古来より文化が進んでいました。それだけに郷土として誇れる人が多数います。

いいざさちょういさいいえなお
飯笹長威斉家直
飯笹地区に生まれ、天真正伝香取神道流開祖の人。天真正伝香取神道流は、居合術・剣術・棒術・薙刀術・柔術・手裏剣・忍術・戦術・築城術と諸般にわたり、幅広く日本武道源流として古来より認められてきた。
ひらやま ぐんぞう
平山 郡蔵
南中地区に生まれ、伊能忠敬とともに全国測量にあたった人。伊能忠敬と平山家とは親戚であり、郡蔵は青年期に忠敬の弟子となり、製図技術を会得し、数理的才能にもめぐまれていた。
なみき りっすい
並木 栗水
御所台地区に生まれ、朱子学者として北は北海道から南は長崎あたりまで多くの子弟が栗水を慕って入門し塾者は門人であふれていた。教える内容は四書五経・日本史・十八史略・史記・五漢書等奥深いもの。
むらおか りょうすけ
村岡 良弼
北中地区に生まれ、歴史学をはじめ、古来からの律令制度、地理誌に考証を加え、また音律を学んで、笙、筝、琵琶の妙技を修めて古来からの茶道を究め、「日本地理誌科」等の著作多く帝国学士院賞に輝く。
しぶや かすけ
渋谷 嘉助
北中地区に生まれ、実業家として国家に尽くした人。ダイナマイトの威力を知る為日本で始めてダイナマイトの火薬をイギリスから輸入し、ダイナマイトの威力を試すため真っ先に注文したのが銅山王として有名な「古河市兵衛」だった。
しいな じゅんぞう
椎名 順蔵
林地区に生まれ、明治時代苗の植え付けは6月中旬以降で、熟成期は11月初旬、この5ヶ月間各地の水田を行脚し、観察と記録を続けるのが日課で、その結果、新品種「荒木」を20年の執念を掛けて発見した。
はやし たいすけ
林 泰助
東松崎地区に生まれ、朱子学として名高い栗水の瞑蛉塾で経学を学んだ後、東京帝国大学で学を修め、旧制第一高等学校・旧制山口高等学校で学生指導に専念した。のち東京帝国大学・東京高等師範学校に勤務する傍ら、文部省国語審議委員として多忙を極めた。図書館創設と東洋史研究に尽くした人。
さくらい しずか
櫻井 静
牛尾地区に生まれ、明治12年村会議員のころ国会開設懇請協議会案を新聞に投稿する。日本各地から国会開設の運動の火が燃え広がる。若くして国会開設の先覚者として尽くした人。
いがらし けいし
五十嵐 敬止
多古地区に生まれ、わが国の政財界で活躍した人。県立多古高校前に「堀の尻」という区があり、現在は110世帯あるが、当時は五十嵐家のみで発電所も有していた。
すがさわ しげお
菅澤 重雄
高津原地区に生まれ、政治・教育・実業に尽くした人。
まつもと たかさぶろう
松本 高三郎
喜多地区に生まれ、千葉医科大学(現在の千葉大学付属病院)の初代院長として活躍した人。多古町旧給食センターに学長当事に着用していた制服が展示されている。
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