多古町名の由来

「多古」という町名の由来は、現在正式な文書が残っていない為確たる証拠は不明。
(1) 多古町近傍は湖沼が多いから「多湖」、後に「多胡」、その後「多古」という説。
(2) 多くの古い村があったので「多古」という説。
(3) 田んぼを耕す人を「田子」といい、それが転じて「多古」になったという説。
(4) 江戸時代の書物に「胡」(えびす~外国人)が多いことから「多胡」となり「胡」のつくりの月がとれて「多古」になったという説。
以上、4つの説があるも、これといって確たる証拠になる正式な文書が残っていない。古来、渡来人即ち朝鮮半島の人々が多数いたということから、現在は(4)の説が最も有力視されている。
☆ 因みに日本で「多古」の地名が付いている場所は次のとおりである。
1,島根県~島根町に多古という地区があり、日本海に「多古鼻」と名のついた半島や「多古の七つ穴」というガケがあり、穴があいている。島根町誌によると、昔、千葉県の多胡氏が来たことから名が付いた、と記録されている。
2 神奈川県~小田原市内に「多古」という町があり、交差点の信号にその名が入っている。
3 埼玉県~吉井町には多胡郡設置のための石碑が残っている。朝鮮半島より渡来人が農業・土木の技術普及のため亡命してきたと考えられる。
4 千葉県~安房郡鋸南町の田子台のはずれに、家の跡が二つ(大小)と土器が見つかっている。弥生時代の遺跡「田子台遺跡」である。
5 青森県~県南部の岩手県近くに「田子町」があり、ニンニクの産地として有名。

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