多古町で他市町村に自慢できるもの

① 多古米~食味コンクール日本一(昭和46年)
特にすし屋さんではブランド品である。なぜならアツアツのご飯だけでなく冷めても美味しいからです。かの有名な「魚沼産コシヒカリ」にも勝るとも劣らない味で、何処へ出品しても恥ずかしくない米である。豊かな流れの栗山川の恵みのせいかも知れない。
② しいかご舞~毎年7月25、26日八坂神社の祇園祭りの夜に奉納される舞行事です。高く立てられた柱の上に乗り、自分でグラグラゆすり、左右に揺れる柱の上でいろいろと芸をする。下から見ていてドキドキ・ハラハラさせられる。無病息災・豊作・雨乞いなどを祈願する。県無形文化財にも指定されている。
③ アジサイ遊歩道~道の駅裏の栗山川両岸のアジサイは町民の手で植えられ、その距離は日本一で約2kmある。定期観光バス(銚子方面)のコースの一部にもなっている。6月にアジサイ祭りが催される。この日は、いろいろなイベントが開催され、多くの観光客で賑わう。
 そのほかに、栗山川両岸では、春4月は「菜の花祭り」、秋9月に「コスモス祭り」が開催される。フリーマーケットの参加者も年々増え、大勢の観光客で賑わう。
 水の流れは私たち住民に豊かな気持ちと安らぎを与えてくれる。両岸はきれいに整備されているので、健康増進・保持のため、ウォーキングを楽しんでいる町民が多く見られる。また観光客にいい印象をもっていただく為に、空き缶やゴミ拾いも兼ねて、散歩をしている町民も多数見られる。
④ ダイナマイト用火薬輸入~明治の初めまで鉱山は人力に頼っていたが、渋谷嘉助(中村南中地区)は、いち早くその威力に着目し、日本で最初にイギリスより輸入する。
⑤ 旧多古郵便局舎~郵便局としてスタートしたのがわが国で一番早い。多古町は内陸に位置しているのに、このように郵便事業が何処よりも早く千葉郵便局と同時にスタートした。多古町高野前に現存している。
その他
☆ 耕地整理~多古米として有名な田んぼの耕地整理が明治34年に始まる。工事期間6年間。日本で一番早く耕地整理をしたのは、石川県(石川郡上安原村)であり、当時としては画期的な事業だったと考えられる。地主の考え方が進歩的であり、権力も相当大きいことも一因と考えられる。当時、整然と見事なまでにきれいに耕地整理された田んぼは非常に珍しかったので、耕地整理完成後の田んぼを描いて万国博覧会に出品して入賞し、人気を得ている。その絵画のコピーがコミュニティプラザと多古高等学校に展示されている。
☆ その事業に対する報奨金を基にして後進育成のため多古町立農学校を作った。現在の県立多古高等学校の前身である。
☆ 日本寺~アジサイの寺として有名。通称中村壇林と呼ばれる。壇林とは僧侶の大学のことで全国から僧侶になる人が集まり学問に励んだ。山門の「正東山」の扁額は本阿弥光悦の真筆といわれ日本三額のひとつ。
そのほかに丸木舟(約5500年前のもの。ムクノキ、長さ7.45m幅64~75cm)も出土されコミュニティプラザに展示されている。

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